2020-01-06
北陸中日新聞のウェブ配信の記事[1]に目が止まりました。
> 【北陸図絵 60年】ローカル線 岐路
と言っても, 北陸中日新聞が扱う「北陸」は,
石川と富山だけです(^^;。この記事に,
本来の「北陸」である
福井と新潟の情報があれば完璧なのですが...。
> 高度成長期を経て,
> 地域の「足」は, 鉄道からマイカーに移り変わった。
60年を振り返っていますから,
このような書き方になるのでしょう。
「高度成長期」, 今の若い方々には信じられないことでしょう。
ご年配がこの時の人で, 当時と今の社会が大きく違うのに,
違いを無視して当時の「常識」で話をしたら,
私のようなおっさんでもイライラしてしまいますね(^^;。
それはともかく,
私が住んでいた南関東も, 鉄道は,
山手線内以外と, 既存鉄道沿線以外は,
それほど充実しているとは言えていない状況でした。
私が高等学校生徒の時に,
有楽町線は未だ山手線の外に出ていませんでした
(銀座一丁目と新富町は外でしたね(^^;)。
今は埼玉県西部にある東武東上線と西部池袋線の
どちらにも乗り入れ, そして副都心線として,
新宿や渋谷, 自由が丘, 横浜まで行ってしまうなんて(^^;。
大都市では, その間でも鉄道建設が続いていたのですが,
石川と富山では, 縮小し続けたのですね。
過去に金沢市に路面電車が走っていたということを知って,
私は大変驚きました。
かつての路線図を見ると,
兼六園のあの急坂でも路線があったようですね。[2]
今も残っていたら, 観光客にはとっても便利ですね。
wikipediaの記事[3]を読むと,
自動車社会になったこと以外に,
北陸鉄道が主力を路面電車からバス事業へ移したことや,
富山と違って空襲を受けていなかったことで道が狭いこと,
「兼六坂暴走事件」という事故があったこと,
などが絡み, 1967年には廃止となったとのことです。
なんだか早すぎですね。
北陸中日新聞の記事に戻ります。
> この全国的な傾向が石川では顕著だが,
> 富山には当てはまらないことが,
> 本紙の取材で明らかになった。
> この60年で, 石川は約200キロの路線が消えて半減したが,
> 富山の減少はわずか50キロ程度だ。
旧国鉄時代の七尾線, 能登線の廃止が大きいのでしょうね。
これだけで80 km位あります。
富山県も, 射水線(高岡から海沿いを通って富山へ行く),
笹津線などがありました。
射水線の一部は万葉線として残っています。
富山市内の路面電車も廃止が続いていたのに,
今の市長になって, 環状線が造られました。
そして今年は, 旧国鉄の富山港線から軽便鉄道となった,
富山ライトレール線がこれまでの路面電車と接続します。
> 自動車の台数は, 1960年度は両県とも3万台以下だったが,
> その後, 急速に普及。 66年度に10万台を突破した。
> 平成に入ると, 石川で約58万台, 富山では約63万台にも。
> 最新のデータによると, この約60年で,
> 石川は31倍の91万台, 富山は42倍となる90万台に増えた。
60年前で比較するから凄い倍率ですが,
1966年度と比べれば, 10倍, ...。やっぱり凄い増加ですね。
> マイカー増に伴い, 鉄道路線が次々と姿を消す。
> 国の統計によると, 路線廃止は, (19)60年代~(19)80年代に集中。
> 石川では(20)05年にのと鉄道能登線が廃線となるなど,
> (20)00年代も流れは止まらなかった。
> 貨物路線や観光路線などを除いた鉄道総延長は,
> 石川は(19)60年の360キロから(20)17年は172キロに。
> 一方, 357キロだった富山は305キロと300キロ台を維持する。
石川の七尾線と能登線の廃止は,
観光とうまく繋げられなかったようです。
富山の場合は, 射水線が, 富山新港開港で切られて東が廃線。
しかし, 立山連峰へ行く路線はうまく営業しているようです。
記事を書く
コメントをする