[自然栽培] 羽咋の農協の組合長だった方が亡くなられていたことを知りました。
2017-04-01


2010年12月に,
今住んでいる富山県のお隣の,
石川県羽咋(はくい)市の農協で,
木村秋則自然栽培実践塾が始まり,
当時は無職で,
農業で生きられたら良いなあと思うようになっていた私は,
「これから農業従事者になる予定」という立場で,
2年間, 塾に参加させてもらいました。
つまり, 私は1期と2期の塾生, ということになります。

 その内容の一部はこのブログに書かれています。
参加した時の話を, 未だにmixiから複写していないんでした(^^;。
まだmixiってありますよね(^^;。
なくなる前にあそこに書いた文章を複写しておかないと...。
羽咋市のウェブサイトには, その内容が書かれています。[1]

 その時に, この塾が,
羽咋市と羽咋農業協同組合の共催と知りました。
農業協同組合というと, 農家に対して,
どれだけの農薬を使ったのかを書かせる,
買ってもらう立場の組織です。
そういうことすら知らなかった私なので,
羽咋市と羽咋農業協同組合の共催ということの意味を,
私はよくわからずにいました。
この時の農業協同組合の代表理事組合長, という立場だった,
芝田正秀氏が, 既に亡くなられているということを今更知りました。

 塾に通っていた時にこの方に何度かお会いしましたが,
農薬を売る立場から真逆の立場の農業を
支援しようと決められた方だったのですね。
氏のfacebookアカウントは今も残っています。[2]
見ると, 2012年で更新が止まっているようです。
それからまもなく亡くなられたのでしょうか?

 私は農業を続けられずに,
僅か半年で農業を離れてしまいました。
羽咋市へ移住というのも考えたのですが,
私は当時既に40代で,
塾会場の氏の関係の方の反応は,
できれば遠慮して欲しい, というものでした。
富山市内で僅か半年で挫折した私ですから,
塾関係者が私の移住に難色を示したのも,
無理はないことでしょう(;_;)。
もう10年位若かったら, と思わなくもないですが,
それはともかく,
羽咋市の取り組みは,
前へ前へと進んでいるようで, 何よりです。

 私は, 自分が直接自然栽培農家となるのが,
今回の人生の目的ではないと考えることにして,
他にすべきことをすることにします。
ここ数年, 植物栽培から遠ざかっていましたが,
今年(2017年)は, ベランダ菜園をすることにしました。[3]
どうも商売をすることに対して,
否定的な考え方が自分の中にあるので,
ベランダ菜園が調度良いのかもしれません。
必要以上に収穫できたら他の方へお安く売る,
それならやってよいですよね??
必要以上の収穫ができるかどうかわかりませんが,
収穫できなければ死んでしまう, という状況ではないので,
そこそこ気楽に農業に近いことをやれそうです。

 話がそれましたが,
芝田正秀氏に感謝申し上げます。
ありがとうございました。

[1] 次のURIから辿れ(たどれ)ます。
[URL]
[2] [URL]
[3] [URL]
[自然栽培2017]

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